解熱の猶予

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体温計を脇にはさんで、じっと待つあの数十秒が、やけに長い。

別に世界が変わるわけでもないのに、数字が出るまでのあいだだけは、俺は何か重大な判決を待っている被告のような顔になる。

三十八度五分。

なるほど。

なるほど、と言うしかない。
三十八度五分に対して、反論はできない。

普段の俺は、実に忙しい。
仕事がどうとか、自分の価値だとか、十年後に何をしているのかとか。
考えたところで大した答えも出ない問いを、律儀に反芻し続けている。

それが熱を出すと、思考は一気に縮小する。

「水」
「だるい」
「暑い」

以上だ。

将来も人間関係も、遠くに霞む。
目の前にあるのは、動物的でシンプルな感覚だけだ。

禅僧が何年もかけて到達しようとする境地を、俺は三十八度の発熱であっさり手に入れているのではないか。
明日の予定も、来週の不安も、十年後の自分も、すべてがどうでもいい。
喉を通るポカリスエットの冷たさだけが、唯一の真理となる。
人類はきっと、こういう状態を理想としていた時代があったに違いない。

もちろん、いつまでも聖域にはいられない。

三十七度台に入ったあたりから、俗世が顔を出す。
空腹、通知、世界情勢。

そして、「そういえば」と思い出す。

提出資料の締め切り。
あの人の、あの態度の意味。
そもそも俺は、何を目指していたのだっけ。

いらないものが、ぞろぞろと帰ってくる。

まだ本調子ではない。
だが、確実に良くなっている。
体の奥で、何かが整列し直している感じがある。

布団の中で、ポカリを飲みながら、「まあ、なんとかなるか」と思える。
未来を真剣に考えるほど元気でもなく、絶望するほど弱ってもいない。

あの中間地点。
あそこに、人間としての適温がある。

健康とは、余計なことを考えられる贅沢な病だ。
それはありがたいが、酷く面倒でもある。

三十七度一分。
ほぼ平熱だ。
社会復帰の許可が出たような数字である。

つまりまた、考えなくてもいいことを考える資格を得たということだ。

布団の中で、ポカリを飲む。

ぬるい。
だが、文句を言えるほど元気になったわけでもない。

完全に治ったら、また未来の心配を始めるのだろう。
とりあえず今日は、まだ少しだけ病人でいる。
世界に参加するのは、明日でいい。

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