ターコイズの月に生まれて

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子どもの頃、ふとしたきっかけで誕生石を知った。
何かの本だったか、学校の掲示物だったか。
記憶は曖昧だが確かに俺の月の石は「ターコイズ」だった。

トルコ石とも呼ばれるその石は青緑でくすんだ色合い。
光は跳ね返さず、沈んでいた。
隣の月を見ればルビーやサファイア、ダイヤモンドといった、幸せそうに輝く石たちが並んでいる。

比べるのも変な話だけどその並びを見て俺は思った。
「ああ、自分は特別じゃないんだな」と。

誰に言われたわけでもない。
ただ、輝いている石が並ぶ中でターコイズだけが浮いて見えた。
煌めくものたちの中にぽつんと置かれた地味な石。
「どうせ俺なんか」と思うには少し早すぎる年齢だったけど、それに近い感覚があった。
当時の俺には、その地味さがまるで自分自身とリンクしたように感じた。

こんなことを真面目に書くやつはそう多くないだろう。
でも、人が何かにモヤモヤする瞬間なんて、大抵は他人にとってどうでもいいものだったりする。

実際、大人になってしまえばそんなことはどうでもよくなる。
ターコイズは旅のお守りとして古くから愛されている石だし、ネイティブアメリカンの間では神聖な意味もあるらしい。
むしろスピリチュアルな文脈ではけっこう格が高い。
12月生まれの偉人だってたくさんいるし、「ターコイズが地味だからって何だ」という話なんだけど、でもやっぱり、あの頃の俺にはそれが悲しかった。

ただ、年齢を重ねるうちに不思議とターコイズの青緑が目に馴染んできた。
あの色には、まぶしさとは違うやわらかなやさしさがある。
空でも水でもない、少し曇ったような色。
まっすぐではないけど、濁ってもいない。
派手な舞台には似合わないが、長旅から帰ってくる場所にはぴったりの色だ。

ターコイズってそういう意味でやたらと大人っぽい。
小学生に渡すにはもう少し愛想がほしい石だ。

日々の暮らしで宝石のことを考える時間なんて滅多にないけど、ふとターコイズのことを思い出す。
ああそうだ、自分はあの石の月に生まれたんだった。 それだけのことなのに、少し安心する。

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