YouTubeをだらだら眺めていると、いつのまにかペット系の動画にたどり着くことがある。
猫が家に来てから一週間の変化を追った動画、小さな子犬が初めておもちゃと出会う様子、ふわふわのウサギが新しい部屋を探索する姿。
様々な生き物の日常が、整然と編集されて流れてくる。
で、そういう動画の冒頭にはたいてい、「うちに来てから三日目です」とか「今日から家族です」といったテロップが入っている。
それを見ると、どこか胸が締め付けられる。
この子は、動画に出す前提で飼われたのだろうか。
お金を稼ぐために?
いや、もちろんそんなことはないのだろう。
飼い主さんは動物を家族として迎え入れた。
そして、その可愛らしい姿を記録し、共有したいと思っただけなのだろう。
でも再生ボタンを押した自分の指が、なんだか当事者っぽくて気まずい。
もちろん、ちゃんと愛されて、毎日ごはんももらって、きれいな毛並みで暮らしているなら、それでいいとも思う。
むしろ、動画になったことで多くの人に癒しを届けて、広告収入でさらに快適なペットライフが送れているのなら、それはそれで幸せなことだ。
けれど一方で、「お迎えした日からカメラ回してたんだな」と思うと、どうにも落ち着かない気持ちになるのだ。
自分の人生が、最初から編集される前提で始まったとしたらどうだろうか。
生後三日で「視聴者の反応が良かったので、次もお願いします」と言われたら泣く。
俺は別に動物愛護活動家ではないし、ペットの動画を楽しむ人々を批判するつもりもない。
ただ、何気なく流れてくる日常の風景の中に、少し立ち止まって考えてしまうような何かがあるということだ。
結局のところ、画面の向こう側にいる猫や犬たちは、カメラの存在など気にせず生きている。
彼らはただ、新しい環境に適応し、食べ、遊び、眠る。
そして私たちは、その何気ない瞬間に心を動かされる。
それが「コンテンツ」として作られたものであろうとなかろうと、その生き物自体の魅力は変わらない。
次に「家に来てから三日目です」というテロップを見かけたら、その後の「一ヶ月目です」「半年経ちました」という成長記録も見てみようと思う。
そこには、きっと幸せそうに暮らす彼ら、彼女らの姿がかるだろう。
それが確認できれば、この奇妙な罪悪感も少しは和らぐかもしれない。
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