教科書や専門書には、ときどき妙に人当たりのいいものがある。
表紙には「やさしい」「入門」「ゼロからわかる」なんて言葉が並んでいる。
序章を開けば、さらにありがたいことが書いてある。
「本書は初学者にも理解できるよう、できるだけ平易な説明を心がけた」
俺はこういう文章を見ると安心する。
こちらは初学者である。
まさに客である。
最初の数ページは実際にやさしい。
この分野では何を扱うのか。
なぜそれを学ぶ必要があるのか。
身近な例ではどういうところに使われているのか。
なるほど、いい本である。
ところが十ページくらい進むと、少し様子がおかしくなる。
「一般に、〇〇は次式で表される。」
いきなり一般にされた。
まあ、それはいい。教科書なのだから式くらいは出る。
「ここで〇〇を△△とおき、境界条件□□を適用すると、上式は次のように変形できる。」
知らない記号を、もっと知らない記号に置き換えられた。
せめて△△が何なのか、先に教えてほしい。
しかし教科書は、こちらが何を知らないのかには興味がない。
「したがって、両辺を〇〇について積分することにより、次式を得る。」
得ていない。
「以上より明らかである。」
明らかでもない
さっきまで身近な例の話をしていたはずである。
あそこから積分までのあいだに、何か大きな事件があったはずなのだ。
しかし本には何も書いていない。
どうも著者のいう初学者とは、「この分野については初めて勉強するが、大学数学と基礎物理は一通り身についており、式を見れば変形の意図くらいは察することのできる人」を指しているらしい。
それは初学者なのだろうか。
初めて寿司を握る人に、「まず魚を三枚におろします」と言うようなものである。
その先、「あとは酢飯を握って乗せるだけです」と言われても困る。
魚をどう持てばいいのか、包丁をどこに入れればいいのか、そこから教えてほしかったのである。
頭のいい人は、「本当に知らない」という状態を知らない。
彼らにとって「わからない」は「まだ整理できていないだけ」を指す。
土台そのものがない状態を想像する術を持っていないのだ。
悪意がないぶんタチが悪い。
わかりやすい教科書というのは、説明が多い本ではないのだろう。
書いた人間が、自分の知らなさを一度でも想像できたかどうかの本である。
今日も俺は「初学者向け」と書かれた本を開き、序章で歓迎され、三章あたりで置き去りにされる。
結局、何が明らかだったのかはわからない。
ただ、自分が著者の想定する初学者ではないことだけは明らかである。

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