ふと気づくと、ラーメン鉢の中でネギたちが俺を見上げていた。
「食べてよ」と言っているようでも、「もういいよ」と突き放しているようでもある。
どちらにせよ、目が合ってしまった以上、見なかったフリはできない。
俺はネギが好きだ。あのシャキシャキ感も、微妙な辛味も。
なのに、気づけばいつも、あいつらはスープに取り残されている。
スープに浮かんでいるネギってちょっと切ないのだ。もう声も出ないし、希望もない。
でも俺のことだけは見ている。無言の圧で。
ラーメンやそば、うどんにおいて、日々どれだけのネギが食べられずにいるのか。
きっと誰も統計を取っていない。
もし政府が「汁物残存ネギ調査課」でも作れば、きっと驚くような数字が出るだろう。
しかし、政府はそんな調査はしない。ネギの悲劇は今日も闇に葬られている。
ネギの運命は食われることにある。
それをスープの底で朽ち果てさせるのはあまりに悲しい。
俺は、食材としての本分を全うさせてやりたいのだ。
レンゲを沈め、救いの手を差し伸べる。
が、ネギは逃げる。
すぐ手の届かないところに流れていく。
気づけば、ネギだけがスープに浮かんだまま、取り残されている。
先日、ラーメン屋で隣に座った初老の男性は、最後の一滴までスープを飲み干し、
底に沈んだネギまでも完食していた。
その姿に俺は感動すら覚えた。
あれが正解なのかもしれない。
だが、塩分を気にする現代人にスープの完飲を求めるのは酷ではないか。
ネギと塩分のあいだで私たちは永遠に引き裂かれている。
それでも俺は今日もネギと向き合う。
レンゲをそっと沈め、流れに逆らいながら一片をすくい上げる。
救えたネギは、ほんのわずか。
それでも誰かがやらねばならないのだ。
ネギに敬意を払う者として、俺は静かに戦っている。
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