数年前、日記をつけていた。
今書いているようなものとは少し毛色が違う。
その日にあったどうでもいいことを、ただ書きつけていくだけのやつだ。
きっかけは一日の終わりに訪れるあの漠然とした後悔だった。
毎晩のように襲ってくる「今日も何もしてねえ」という亡霊を文字で殴って追い払いたかったのだ。
せめてあったことでも書いておけば、何もなかったわけじゃないぞと自分に言える気がした。
「○月○日 コメダに行った。めんたいパスタとモンブランを食べた。美味しかった。」
「△月△日 収納用のカゴと電池を買いに100円ショップに行った。人が多かった。」
書いていた当時の俺はこれを何年か後に読み返したら少しは懐かしんだり、もしかするとふっと笑ったりするんじゃないかと思っていた。
だが、実際に読み返してみると驚くほど何もなかった。
正確に言えば書いてあることはすべてそこにある。
めんたいパスタも、カゴも、電池も。
ただそれ以上のものが何も残っていない。
なぜこの文をわざわざ残そうと思ったのか、今となっては謎である。
未来の俺はこの文から何を得ればいいのか。
電池の種類すら書いていない。
単三か単四か、それによって感情移入の幅も変わってくるだろうがその余地すらない。
あの頃の俺は「記録しておけば、あとから何か意味が出てくる」くらいのことをぼんやり信じていたのだと思う。
でも実際には意味が出てくるほどのことはそもそもあまりやっていなかった。
価値の薄い時間を記録した結果、価値の薄さだけがきれいに保存されていた。
もっとドラマチックな記録が欲しかったわけでもない。
ただ、そこに書かれているのがめんたいパスタと正体不明の電池だけでは、さすがに読む側の想像力も持て余す。
今となってはこの日記に特別な意味はない。
けれど、意味のないことを一生懸命やっていた時期があった、という事実そのものは案外悪くない気もしている。
それでも次に書くならせめて電池の種類くらいは書いておいてほしい。

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