地獄マルチバース

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世の中の揉めごとの半分は、宗教か靴擦れが原因だと、誰かが言っていた気がする。

靴擦れの方は市販のパッドや絆創膏でなんとかなるが、宗教となると、そう簡単に貼って剥がせる話でもない。

そういうわけで、近年の国際ニュースなどを目にすると、どうにも「神」が深く関与しているらしい、という空気だけは感じ取れる。
けれど、何がどうなって、誰と誰がどう対立しているのかも、いまいち分からない。

そんな中でキリスト教の教義を調べていた。

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない」

聖書では、この一節をもとに「イエスを通して救済に至る」という考え方が重視される伝統的な解釈があるらしい。

他宗教にも、それぞれ独自の救済観がある。

イスラム教でも、クルアーンには「イスラーム以外の宗教を求める者は決して受け入れられず、来世では失敗者となる」という趣旨の節がある。

なるほど、と思う一方で、そもそも自分が「父のもと」にいけるのか、その「失敗者」の対象に含まれるのかどうかすらよく分かっていないことに気づいた。

俺は仏教徒というほどの自覚もないが、少なくともキリスト教徒ではないし、メッカに向かって祈りを捧げたこともない。
熱心ではない、という一点においては一貫している。

ここで困るのは、それぞれの教義をいったん全部真に受けた場合である。

もし全部が正しいとしたら俺の死後は分裂する。

まず、仏教の係員がやってきて、「お前は生前、それなりに煩悩まみれだったから畜生道な」と首根っこを掴まれる。

ところが、そこにキリスト教の係員が血相を変えて飛んでくる。
「ちょっと待て。聖書を少しかじっておきながら結局こちらには来なかった。不信心者としてうちで処遇する」

そこへさらに、イスラム教の係員が割って入る。
「いや、アッラーの教えを受け入れなかった以上、この者の処遇はこちらの管轄だ」

三者しばらく睨み合う。
死後の世界でも管轄争いというものはあるらしい。

誰一人として、俺自身に「お前はどう思う」とは聞いてこない。
考えてみれば当然で、こちらは最初からどの窓口にも並んだ覚えがないのだ。

世界には数千の宗教があるという。
さらに宗派や新興宗教まで含めれば、死後の窓口は相当な数になる。

どれが正しいのか自分には分からない。
なら面倒なので全部正しいことにしてみる。

そうなると死後の俺は忙しい。
輪廻転生の列に並ぶ俺がいる一方で、最後の審判を待つ俺もいる。
カルマの帳簿を精算される俺もいれば、チンワト橋のたもとで足止めを食らう俺もいる。
そして、どこかの新興宗教の俺は、知らぬ間に宇宙船の搭乗手続きをさせられている。

あまりに分裂しすぎてどの自分が本体なのか分からなくなる。
もしかすると、本体など最初からなかったのかもしれない。
生前にどの神とも向き合わず、何も決めてこなかったのだからあちらで一斉にツケが回る。

もっとも、数千に分裂するならどこか一人くらいは手違いで天国に紛れ込むかもしれない。
そいつが地獄で苦しむ他の俺たちの分までのんびりしてくれればいい。

そしてできれば地獄にも絆創膏の一枚くらいは常備しておいてほしい。
宗教とはついに真剣に向き合わなかった自分だが、靴擦れくらいはあの世でも手当てできるようにしておいてほしいのだ。

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