朝起きると、まず髪型がめちゃくちゃになっている。これはもう、毎日のことだ。夢の中でどんなに紳士的な振る舞いをしていても、朝の俺の頭は、戦場帰りのような有様である。ひどい時には、鏡の中の自分と目が合った瞬間に「誰?」と素で思うことすらある。
といっても人間、髪型をどうするかで一日の気分が決まる。適当に寝ぐせを直して外に出た日には、電車の窓に映るヘンテコな髪型の自分を見てテンションが下がる。逆に、思い通りにセットできた日は、何も変わっていないはずの世界が少しだけマシに見える。つまり、髪型はその日の人生の難易度に直結しているのだ。
とはいえ、俺はそこまで器用な人間ではない。ワックスを手に取り、指先でなじませ、いざセットしようとするも、思い描いた形にならない。美容師は簡単そうにやるが、俺がやるとどうしても「風の強い日に外で2時間過ごした人」みたいな仕上がりになる。しかも、一度失敗すると取り返しがつかない。もう一度髪を洗う気力もないまま、妙に中途半端なセットで外に出ることになる。
「どうしてそんな髪型になったの?」と聞かれても、「いや、これは俺の哲学で……」とか適当なことを言うしかない。だが、実際のところはただの敗北である。髪型のセットというのは、己との戦いなのだ。
街を歩いていると、完璧にセットされた髪の人間とすれ違う。彼らはきっと、人生の操縦も上手いのだろう。髪型というのは、その人の「自己管理能力」の指標になりうる。寝ぐせボサボサの俺が、きちんとスケジュール管理された生活を送っているわけがない。そう考えると、髪型は人間の尊厳そのものかもしれない。
しかし、そう割り切ってしまうと、世の中が窮屈になる。そもそも人間というのは、適当さと不完全さを武器に進化してきた生き物なのだ。すべての髪型が完璧になったら、世界はどこかつまらなくなるに違いない。だからこそ、俺のような男が存在する価値があるのだ。これは決して負け惜しみではない。
……そう思いながら堂々と適当な髪型で玄関を出た瞬間、髪が完璧にセットされた通りすがりの男と目が合った。彼は言葉を発しなかったが、その目は確実にこう語っていた。 「君、それでいいの?」
俺はすぐに家に戻り、寝癖を直した。
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